移住者インタビュー
岡山市中区
Iターン
家族移住
- 出身地:
- アメリカ合衆国(本人)/神奈川県(妻)
- 取材時住所:
- 岡山市中区
- 移住年:
- 2011年(妻と家族)/2012年(本人)
- 年齢:
- 家族構成:
- 6人(本人、妻、息子3人、娘)
- 職業:
- 大学教員
震災後に関西の都市に一時的に自主避難
郷里(米国)に家族が一時的に自主避難
移住を視野に入れた転職活動を開始
内定後、岡山で物件を探し、決定。家族が先に岡山市へ
自宅を売却し、本人も岡山市へ
都会的でありながら、自然も身近にあるのが魅力。ワーク・ライフ・バランスの面でも暮らしやすい街です。
岡山市への移住を決められたきっかけは?
岡山に移住するきっかけは、2011年に起きた東日本大震災です。私たちには子どもが4人おり、震災による環境変化がもたらす健康への影響が心配だったので、西宮の知人のところや私の郷里オレゴンへの一時的な自主避難の期間を経て、移住の準備をしました。転職先の大学がたまたま岡山にあったというのが、こちらを移住先に決めた一番の理由です。とはいえ、下見に来たときに岡山の街がとても住みやすそうに感じましたし、15年ほど前に旅行で訪れたときにも良い印象を持っていました。
移住するまでの流れを教えてください。
震災が起こったときは、東京の大学に勤務していました。ビルの高層階の研究室におり、激しい揺れを経験。交通機関もストップしてしまい、その日は自宅に帰れず、研究室で夜を明かしました。神奈川の自宅は海に近かったので、余震のたびに津波の心配をしていました。
震災後2週間ほどは、家族で西宮市の知人のところに身を寄せていました。当時、一番下の息子はまだ2歳。子どもたちの健康が心配でした。新しい年度になって私は仕事に戻りましたが、妻は子どもたちを連れて私の実家があるオレゴン州(米国)にしばらく滞在することになりました。
その間、仕事を続けながら転職先を模索。東京の大学では終身雇用を約束されていたので、正直なところ、迷いはありました。自宅も購入して1年ほどしか経っておらず、住みやすい環境も気に入っていました。新たな職に応募はしたものの、葛藤する気持ちはありましたね。でも、家族のことを考えると安全は最優先です。そして応募先から内定の連絡があり、岡山に移り住むことを決めました。
大学の教職は年度変わりまで勤めなくてはいけないので、家族が先に岡山入りすることになりました。物件探しは私が一人で行い、レンタサイクルで下見を実施。街の主要なところを巡って実際の距離感をつかむには、自転車で見て回るのが良い手段だったと思います。職場までの距離、図書館や学校、買い物ができる商店など、生活に便利な施設に近いところを条件に、現在の住まいを決めました。妻と子どもたちは物件が決まってすぐに引っ越しました。2011年の秋のことです。最初は移住者支援団体の「おいでんせぇ岡山」のサポートで、冷蔵庫など生活に必要な家電をお借りしての生活でした。私は自宅の売却を済ませて、2012年の4月にこちらに来ました。
震災後2週間ほどは、家族で西宮市の知人のところに身を寄せていました。当時、一番下の息子はまだ2歳。子どもたちの健康が心配でした。新しい年度になって私は仕事に戻りましたが、妻は子どもたちを連れて私の実家があるオレゴン州(米国)にしばらく滞在することになりました。
その間、仕事を続けながら転職先を模索。東京の大学では終身雇用を約束されていたので、正直なところ、迷いはありました。自宅も購入して1年ほどしか経っておらず、住みやすい環境も気に入っていました。新たな職に応募はしたものの、葛藤する気持ちはありましたね。でも、家族のことを考えると安全は最優先です。そして応募先から内定の連絡があり、岡山に移り住むことを決めました。
大学の教職は年度変わりまで勤めなくてはいけないので、家族が先に岡山入りすることになりました。物件探しは私が一人で行い、レンタサイクルで下見を実施。街の主要なところを巡って実際の距離感をつかむには、自転車で見て回るのが良い手段だったと思います。職場までの距離、図書館や学校、買い物ができる商店など、生活に便利な施設に近いところを条件に、現在の住まいを決めました。妻と子どもたちは物件が決まってすぐに引っ越しました。2011年の秋のことです。最初は移住者支援団体の「おいでんせぇ岡山」のサポートで、冷蔵庫など生活に必要な家電をお借りしての生活でした。私は自宅の売却を済ませて、2012年の4月にこちらに来ました。
現在の生活について教えてください。
職場へは自転車で通っています。通勤時間がぐっと短くなったのは嬉しい。自転車通勤は健康に良いですし、精神的な充足感も大きいと言われています。最近は東京でも注目されているようですが、こちらは川沿いの道を走れるなど、環境が良いのが魅力です。
週末は家族で出かけることが多く、直島や豊島を訪れたり、犬島でキャンプをすることもあります。私たちは車を持っておらず、どこへ行くにも自転車です。つい先日も玉野市まで自転車で行ったところです。
こちらに来て良かったと思ったことの一つは、子どもたちを外で遊ばせられること。家の裏に公園があってすぐに遊びに行けるのですが、元気いっぱい走り回っています。こちらに来てがっかりするかも知れないと思っていたのですが、取り越し苦労でしたね。すぐになじみ、それぞれ学校生活を楽しんでいるようです。
週末は家族で出かけることが多く、直島や豊島を訪れたり、犬島でキャンプをすることもあります。私たちは車を持っておらず、どこへ行くにも自転車です。つい先日も玉野市まで自転車で行ったところです。
こちらに来て良かったと思ったことの一つは、子どもたちを外で遊ばせられること。家の裏に公園があってすぐに遊びに行けるのですが、元気いっぱい走り回っています。こちらに来てがっかりするかも知れないと思っていたのですが、取り越し苦労でしたね。すぐになじみ、それぞれ学校生活を楽しんでいるようです。
移住してみて苦労したこと、事前に調べておけばよかったことは?
苦労ということではないのですが、岡山に来て驚いたのは、周りの方がどこに行くにも車を使われること。文字通り車社会です。でも、少し依存しすぎているように感じます。今私たちが住んでいるところからは、どこへでも自転車で行けますし、路面電車もあります。一方で、近所の方は基本的に車移動です。子どもたちの部活動の試合も車で送り迎えするのが当たり前。私たちは公共の交通機関を利用するので、ちょっと遠い試合会場で会うと「どうやってきましたか?」と聞かれるほど。岡山は鉄道もバスも路線は充実しているので、時間さえ余裕を見ておけば、どこに行くにも不便さは感じません。東京周辺では子どもが部活動の試合に行くのに電車を使うのはごく普通のことなので、もう少し車への依存度がなくなれば良いかな、と思うことはあります。
移住後に感じた岡山の魅力とは?
日本の男性は仕事一本という方が多いですが、人生はそれだけではありません。楽しんで取り組める仕事があれば一番ですが、ワーク・ライフ・バランスも大切。岡山ではそれが叶います。居酒屋やバーなど、仕事の後に飲みに行くところもありますし、川や海、公園など、週末にリフレッシュできるところが身近にあるのが魅力です。
人付き合いの面でもそれほど苦労はなかったです。ほどよい距離感を大事にしてくださるし、仲良くなればとても温かい。コミュニティが小さいのも、いいところではないでしょうか。あとは、外国から来ている方も少なからずいて、趣味や話が合えば親しくなることもあります。同じようなバックグラウンド・境遇の方がいると、シェアできることもありますし、心強いです。もっと田舎の方に行けば外国人が全くいない地域もあるでしょう。そのような地域に住んだら、寂しい思いをしたかも知れません。でも、岡山は違います。その点も良かったです。
人付き合いの面でもそれほど苦労はなかったです。ほどよい距離感を大事にしてくださるし、仲良くなればとても温かい。コミュニティが小さいのも、いいところではないでしょうか。あとは、外国から来ている方も少なからずいて、趣味や話が合えば親しくなることもあります。同じようなバックグラウンド・境遇の方がいると、シェアできることもありますし、心強いです。もっと田舎の方に行けば外国人が全くいない地域もあるでしょう。そのような地域に住んだら、寂しい思いをしたかも知れません。でも、岡山は違います。その点も良かったです。
移住を検討されている方へのメッセージ・アドバイス
移住を考えていても、いろんな事情があってすぐには来られない方もいらっしゃると思います。情報収集をしすぎて行動できないというケースもあるでしょう。そんなときは、旅行でもいいから実際に足を運んでみると、感じるものがあると思います。迷っていても前に進めないので、ちょっとがんばって一歩踏み出してみれば良いのではないでしょうか。